16才の春。
ある穏やかな日の午後。
私はお気に入りのお菓子とコミックを自分の部屋で楽しんでおりました。
特に何か楽しかった辛かった悩みなどなく普通の日でした。(当時はそう思っていたけど自身の深いところに何かあったのかもしれません)
何の前触れもなく ソレは突然に私の身体に降りてきました。
アレ?んっ??なんだ?えっ!?なになに??!!
幼い頃からよく夜中に、お化けが怖くなって恐怖でおびえていた時の感覚と似ているような。
なんだ?えっ?!!ソレは、わーわーわー!!!と私の中で大きくなっていき、気がつけば受話器を握り締め(警察か?!救急車か?!!!!)
無意識に大学病院に助けを求めていました。
「とりあえず来てください」と言われ、この状態で一人で病院に行くのはとても無理なのでリビングにいる父[自営業]母[自営業の事務]に「病院に連れて行ってください!」と泣きながらお願いすると
”めんどくさいなーー”と心の声が駄々洩れ。
今でいう 毒親。
あまりにも私でがしつこいので(生きるか死ぬか大必死です)母が渋々タクシーで。
当直の医師が優しい精神科医で他に急患もいなくラッキーでした。私の生い立ちからじっくりと問診して下さり、後にも先にも私の話をこんなに丁寧に親切に聞いてくれたのはこの医師だけです。
ありがたかったな、、、
それとは真逆に診察が始まって10分位で母は私にタクシー代を渡し「お父さんの夜ご飯用意しなくちゃ!」とガタガタ震えている子供を置いてダンナのもとに帰っていきました。
医師も看護師もポカ~ンですョ。笑(しかない)
「お母さんはいつもあんな感じ?」「はい、、」「そっか」
「先生、私はどうしちゃったんですか、、、」
「パニック障害、パニック症、不安神経症とか色々な名前があるけどまあ大丈夫」
と医師に告げられとても安心しました。
「○○さんの場合は、さみしい病があってるかな」(人はさみしいとこんなにも大変なことになるのか、、ウサギはさみしいと死んじゃうってほんとだったんだ、、、、可哀想に、、)
その時の私にはわからなかったけど今は、さみしい病という診断がよく理解できます。
「これはお守り!」と手渡された一粒の薬がそれはもう眩しくて、先生の後ろから後光がさして、清らかな気持ちとこれさえあればもう大丈夫!という安心感に包まれました。
医師と次回の約束をし帰宅。そのころには発作はすっかり消滅していました。
父と母はリビングでテレビを見ながらお酒を楽しんでいて、帰ってきた私には何も聞いてきません。私から「パニック障害っていう病気だって」と言っても「気のせいだ!精神科なんてもう行かなくていい!」と。
ああぁ、あの時に優しい言葉をかけてほしかったなんて贅沢は言わない。
せめて否定だけはしてほしくなかった。それだけで後の私のパニック歴記録はここまでの高記録を更新し続けることはなかったでしょう、、、
それから3か月ほど頭のどこかには気にしてはいたものの大変な思いはすることなく、お守りの精神安定剤も使うことなく、二週に一回通院して過ごしていました。
残念なことといえば、当直の医師が担当医師になって数回受診したのち転勤になり、若い医師に代わって不安だったことでした、、、。(先生あの時のガタガタ震えていた○○です。本当にお世話になりました。あの時先生が当直でなかったら今私はどうなっていたかと考えると恐ろしすぎます。やっと人並みに生活ができるようになりました。ありがとうございます。)
そしてついに、、、、、、、
ご覧くださりありがとうございました🍃
一人で頑張ったね、怖かったよね、、、大丈夫だよ。大丈夫!
あなたの理解者はここにいるよ。
初めての恐怖に一人で耐えた16才の私へ、、、ありがとう。
次回は 思い出すんじゃなかった、パニック発作↷ のおはなしです