18才になった秋、症状のことなどすっかり忘れて良いループの中にいる私はアルバイトに夢中の毎日を送っていました。
久しぶりに普通の子らしく生活が出来て、うれしさ一杯の私は意識がバイトにあるので無症状です。たまに思い出しても心の状態がポジティブなので「発作が起きたらゆっくり深呼吸すれば平気!」って感じで何も起きません。本当に良いループ!最高っす!
良い連鎖は止まりません!バイト先にお客さんとして来ていたP氏とお付き合い→結婚する事に!!!
お付き合いを始める時にきちんと “私はこういう病気ですがそれでも良いですか?” と確認しました。P氏は初めて聞く病名、症状に困惑していましたが、説明していくうちに涙を流す私を見て「守りたい」と強く思ったそうです。私も私で心のどこかに ”この病気から守ってもらいたい” と思いP氏との結婚までもOKしたのだと思います。
冬には籍を入れて新しい生活がスタートしました。初めての家事は大変ながらも楽しくも感じ、毎日の献立を考えるのにワクワクしたりとキラキラした生活を送っていました。
子供は私の病気がよくなって、薬を飲まなくても生活できるようになったらと、二人で話し合い決めました。
幸せでした。その時は、、、、、
そうです、アイツが私の幸せをやすやすと見過ごすはずが、、、、足音が少しずつ近づいてきて、、、
P氏の仕事が忙しくなり帰りの遅い日が続き、帰りを待っている間に寝てしまう日も。だんだんとさみしいが不安になり、とうとう一人の時に大パニック!
P氏に電話で助けを求め、P氏も初めてのことなので慌てて帰ってきてくれました。P氏の顔を見たら涙がボロボロ出て、安心して発作は治まりました。
負のループのスタートです、、、
次の日P氏が出勤の時間になると発作が起き、P氏は仕事を休みました。休みの連絡を入れ終わると発作は治まり、夜までは普通でした。
夜になると ”明日、P氏は仕事に行ってしまう” と考えると不安で不安でたまらなくなりまた発作。P氏は「明日も一緒にいるよ、大丈夫だよ。」と優しい言葉。P氏の優しさにつけ込んでパニック星人はやりたい放題!前に侵略されたときよりも大暴れ!
あっという間に、また入院。
今回の入院は父の脅しではなくこのままでは ・P氏が仕事に行けない→・収入がなくなり生活ができなくなる→・不安→・悪化 を止めるためのものでもあります。
私にとって今回の入院は、前回のような安心感は全くなく、P氏のいない不安との戦いでした。
入院から二週間ほどして担当医から「家族の方からお話があるそうですが私も同席していいですか?」と。
「???」「は、はい、、、。」
何の話だろう、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
部屋に案内されると 母、祖母、P氏がいました。んっ??あれっ??看護婦さん何で注射とか点滴とか用意してるの!!!???
こわいよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!
ご覧くださりありがとうございます🍁
次回は 信じられない、、、 のおはなしです。